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2011年6月10日 (金)

命と経済~原発考

昨日(6月9日)朝日新聞の夕刊

池澤夏樹さんのコラムから。

  *  *  *  

希望の話をするのはまだ早すぎるだろうか?何か未来につながる、そして嘘の混じらない話はないものか。

まず、気が重いけれども、原発について整理しておこう。

震災をきっかけとする原発の事故からそろそろ三か月になる。フクシマからは恐ろしい話、腹立たしい話しか聞こえてこない。漏洩は止まっていないし、対策は迷走するばかり。

この事故の根は深い。たまたま日本でだけ、無能な会社が原発を運転していたということではない。

核エネルギーはどこか原理的なところで人間の手に負えないのだ。それを無理に使おうとするから嘘で固めなければならなくなる。まずは自分たちを欺いて安全と信じ込もうとする。そこに科学的根拠はない。他の国の他の会社が運営しても、いつか違う種類の、しかし同じように恐ろしい事故が起こるだろう。 

[中略]

砒素や重金属など元素の毒は焼却不能だが、体内に入れなければ害はない。放射性物質は我々が住む空間そのものを汚染する。

原発が生み出す放射性物質は永遠に保管するしかない。事故になれば大量に放出される。だから、原子力工学では「封じ込め」がキーワードになるのだが、結局のところ、永遠に封じ込めるのは不可能なのだ。数百基の原発を数百年に亘って安全に運転し、かつ廃棄物を安全に保管する能力は人間にはない。

風力や太陽光に対して懐疑的な意見は少なくない。

量的にぜったいに足りないというのが主なものだ。隅の方で細々とやっているのならともかく、とても主力にはならない、と電力業界は言ってきた。供給が不安定で、電圧や周波数の面でも品質が低い、という。だからごく少量ならば買ってやってもいいがそれ以上は断る、というのがこれまでの業課の方針だった。

本当にそうだろうか。

[中略]

現実的にはどうだろう。風力と太陽光、まだ研究段階の波や潮汐や地熱、それぞれに困難が多々あることは容易に想像できる。風力について言えば、低周波騒音とか景観とか渡り鳥の衝突とか、課題は少なくない。しかしこれらは既にある技術の延長線上にある。その気になれば手の届く範囲内にある。そこのところがどうにも手に負えない核エネルギーとは根本的に違う。

テクノロジーが社会をドラスティックに変えるところを我々はいくつも見てきた。携帯電話は二十年前にはないも同然だった。液晶のテレビも十年前には珍しかった。ハイブリッドの車は実用化されたし、それとともに伸びた蓄電池の技術はやがて風力や太陽光の供給の不安定を補うものになるだろう。

原子力を国の基本方針としてきたのは間違いだった。ウランはもともと乏しい資源だ。それを補うという高速増殖炉の計画はどんどん先延ばしにされて実現は遠ざかるばかり。

その原子力優遇策が再生可能エネルギーの開発と実用化を阻んできた。フクシマを機に社会の雰囲気が変われば、日本という高度に工業化された国がその気になれば、エネルギーの風景はがらりと大きく変わり得る。

ナウシカの住む風の谷は意外に近くにあるのではないか。

  *  *  * 

5月29日(日)の朝日新聞「声」

定時制高校教員の方の投稿

  *  *  * 

ある授業で原発のことに触れた。「3号機が不調のようだね」と言うと、4年の男子生徒が怒ったように言った。「いっそのこと原発なんて全部爆発しちまえばいいんだ!」

内心ぎょっとしつつ、理由を聞いた。彼いわく「だってさあ、先生、福島市ってこんなに放射能が高いのに避難区域にならないっていうの、おかしいべした(でしょう)。これって、福島とか郡山を避難区域にしたら、新幹線を止めなくちゃなんねえ、高速を止めなくちゃなんねえって、要するに経済が回らなくなるから避難させねえってことだべ。つまり、おれたちは経済活動の犠牲になって見殺しにされてるってことだべした。俺はこんな中途半端な状態は我慢できねえ。だったらもう一回ドカンとなっちまった方がすっきりする」とのことだった。

こういう絶望の声は他の生徒からも聞く。

[以下略]

  *  *  * 

暑くなっても長袖長ズボンでマスクの生活、屋外での部活もできない生活。

危険だと言われても、目に見えるものではないし、感じるものでもない。

身体に既にどれだけ入っているのかもわからない。

見えない恐怖が、健康だった心を次第にむしばみ始めている。

原発ではまだ汚染水がじゃぶじゃぶ出ていて、止まらない。

被害は静岡の茶畑にも広がっている。

自分たちの今の「我慢」の暮らしは、あとどれだけ続くのか?

我慢しなくて良くなったときに、体内蓄積の問題は解消されるのか?

  *-*-*-*

そんな恐怖が福島県民の心に暗い影を落とすこの状態で、

経産省原子力安全保安院と資源エネルギー庁は、原発推進の立場を崩さず、

玄海原発は安全なので点検後は再開して大丈夫だと、佐賀で説明した。

そして、玄海町の町長は、運転再開を認める意向を来月初旬までに九州電力に伝えたいという考えを明らかにした。

理由は、町の歳入の7割を占める原発関連のお金。そして、町民の1割を担う原発関連雇用。

この町は、国の施策で、もう40年も補助金漬けになっている。

  *-*-*-*

一方、フクシマの事故は、ヨーロッパで大きな波紋を広げている。

ドイツは、課題を残しながらも、脱原発を決めた。

スイスも、2034年で全ての原発を廃炉にすると決めた。

ドイツは、脱原発と同時に代替エネルギーでの技術先進国へ舵を切る決断もした。

日本も、福島をクリーンエネルギーの研究基地へと変えられないだろうか。

原発に疑問をもち恐怖を感じている現在の10代の若者が、将来の日本を引っ張ることを忘れてはならない。

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地震・原発事故」カテゴリの記事

コメント

宮城でも,運動会もプールも原発の影響を肌で感じております。

私が今日1日引きこもっていたのは,原発のせいではなく,自動車がこわれて,先週往復30キロの道のりを数日間自転車通勤して疲れたからです。
宮城は国の基準の放射線量測定値(毎時3・8マイクロシーベルト)より全然低いことを知っているから
http://atmc.jp/miyagi/
バスや電車通勤ではなく,時間の融通の効く自転車通勤をしました。
私の30年後は,ガンになっていても原発のせいかどうかは分かりません。

こどもたちの30年後はまだ若いもんね。おうちの方は心配だ。

原子力船むつのニュース
http://bit.ly/9WNUBF
は当時ものすごく流れたよね。これは30年以上前の話。今回全然話題になってないけど,日本の放射能漏れの事故の多分最初だったんじゃないかな。
このとき,放射能漏れの事故の怖さって実感したけど,当時あの船の中で働いていた人たちってどうしているんだろうね。

文科省は,簡易放射能測定器「はかるくん」
http://hakarukun.go.jp/
の貸し出し事業もしています。
グレーな場所に住んでいて,不安が大きい時は,積極的にこういうのを借りて,自分や家族の安全について自分の目と手で確かめることも大事だと思います。

いるかいらないか,については,たくさんの見識ある皆さんのご意見と動向を見守るとして,
今作業してくださっている方々へ,心から感謝している毎日です。

きいろちゃんnote
ついに、車、壊れたの~~~shockdown
新車もすごい納期待ちらしいから、直して乗るだわね~rvcar

ところで、むつのことなんて、良く覚えていたねー。
姉ちゃんはすっかり忘れていたよ。
ホント、乗組員さん、今どうしているのでしょうか。心配sweat02

「はかるくん」って、扱いやすそうなネーミングだね。
気になるところは定期的に測れると、冷静になれるよね。
大事なことだよshine

ホント、今原発で作業をしてくれている人たちは、命をかけてやってくれている。
作業の安全を、姉ちゃんも毎日祈っています。

原子力利用の問題は、もう次のステップへの議論に移る段階かもしれません。
私は太陽光発電や地熱、風力、海水に可能性を感じています。
それらの自然利用エネルギー開発の大きな問題はコストですが、福島の事故をみれば原子力のリスクのコストは天文学的ですから、コスト比較を見直すきっかけですよね。

「たとえエネルギーコストが3倍になっても、原子力は使わない」 といった国民の覚悟や、「なんとしても自然エネルギーのコストを半分以下に下げる」 という国家戦略が議論される段階ではないでしょうか。

kenn-sannnote
もともと原子力発電はこの50年間国策としてやってきたのですから、脱原発となれば、これまでのやり方を壊して進む、よほど強靭な意志と辣腕が要るはずです。
かつて英国のサッチャー首相が鉄の女になりきって炭鉱を閉鎖したのと同じくらいの覚悟がなければ進めないような気がします。

管総理は浜岡を止めたところで力尽きてしまいました。
浜岡を止めたために下ろされたという論調も最近みられるのが、気になります。

となれば、次は「当面原子力を維持して時間をかけて代替エネルギーを模索する」穏健派が選ばれる可能性が大きいかもしれません。
聞こえは良いかもしれませんが、その方向だと実際の変化は見込めないでしょう。

本当に変化が起きるとしたら、それは大きな民意が現れたときだと思います。

kenn-sannflair
上のコメントに、「大きな民意が現れたときだ」と書きましたが、これを読んだサトさんから、意見がありました。
”「大きな民意」というものが、強いリーダーによって導かれるものであってはならない。それは、国難に際して救世主を求める発想につながり危険この上ない!!”

つまり、これから私たちがほしい民意とは、名もなき国民一人一人が意見を出し合い多数決によらず自然と議論が落ち着いたところをもって形成するものでなくてはならない。
そのためにも、各自治体で、例えば「わが自治体のエネルギー政策」のようなテーマを決めて、選挙ではなく抽選で討議人を選び、討議を重ねて独自の方向性を打ち出すことができるシステムを構築するのが最善だと。

面白い意見じゃないですかsign01
今までお上に従うことを良しとして教育されてきた私たち名もなき国民が、自分の意見を形成してそれを臆することなく言うことで、自分たちの望む方向性を模索する。
それが現実となったら、日本は初めて本当の意味での民主主義を手にするのかもしれないですね。ヨーロッパ各国と同じレベルになるってことかな☆

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