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2014年6月 6日 (金)

クーデター

「現在の日本の自衛隊は、将来は戦闘地域で武器を持って戦うことになるんでしょうか?」

「そうですよ」

安倍首相のアドバイザーという人物が、少し前にテレビのインタビューでそう答えていた。

たまたま見た番組でのことだし、そのアドバイザー氏の名前もテレビ局名も記憶にないけれど、思わず手を止めて画面を凝視したのは覚えている。

それから数か月経った今、集団的自衛権の議論がかまびすしい。

聞こえてくるのは、威勢の良い意見ばっかり。

でも、現行憲法の解釈変更で集団的自衛権を認めるって、いくらなんでも無理では?

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第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
   club      club      club   

この9条を保持しつつ、他国の援護のために自衛隊を「軍隊」として戦闘に参加させる。

そんなこと、現与党の何人かだけで決められることではないよね。

だって、それをしたら、9条の存在意味はなくなる。

それに、自衛隊の隊員にとってもその家族にとっても、

戦闘に参加しない自衛隊と、戦闘に参加する日本軍では、事情が大きく異なる。

かくも重大なことを、国民の意見を問うことなしに決められるものなの?

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そんなことを言っていたら、昨日(6月5日)朝日新聞の夕刊に、下記の記事が出てました。

作家の池澤夏樹さん、ありがとうございます。

そうです。
政府が勝手に憲法を停止するならば、それはもはや政府によるクーデター。

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(終わりと始まり)
死地への派遣 国家に権限はあるのか 池澤夏樹

2014年6月3日16時30分

集団的自衛権を巡る政府のふるまいはどう見ても論理的一貫性を欠くようなのだが、やはりこのまま無理を通すつもりなのだろうか? 道理は引っ込むしかないのか?

 道理のいくつかを述べる。

 彼らが回避しようとしている日本国憲法第九条には「国の交戦権はこれを認めない」という文言がある。そういう規定のない交戦自由のアメリカの軍隊と交戦権を持たない日本の自衛隊が同じ立場で肩を並べて戦えるものだろうか? その場合、憲法は停止状態ということになる。これは国家乗っ取り、すなわちクーデタと同じではないか。

 一九六〇年三月三十一日の参議院予算委員会で時の首相岸信介は「よその国へ行ってその国を防衛することは日本の憲法ではできない」と明言した。「日本は他衛権は持っていない」と。安倍首相は祖父の言葉をどう考えていらっしゃるのだろう?

    *

 ある種の職業は危険を伴う。その職に就く人は危険を承知している。

 例えば、全国で十六万人ほどいる消防士は毎年数名が殉職している。率にして〇・〇〇五%ほど。我々の社会はこれを受け入れている。

 自衛隊員はどうだろう?

 五月二十三日に横須賀で潜水訓練中の海上自衛隊員が死亡した。民間の潜水士だって時には事故に遭うのだから、自衛隊の場合も「ある種の職業は危険を伴う」の範囲に入るのかもしれない。

 一九五〇年に自衛隊の前身である警察予備隊ができてから二〇一三年までの自衛隊員の殉職者数は合計で千八百四十名。年平均で二十九名弱。全自衛隊員の数は二十五万強だから、消防士よりはだいぶ危険率が高いのだが、それでも我々はこの危険率を受け入れている。

 東日本大震災での自衛隊員の殉職は二名と伝えられる。あの時期の自衛隊の活躍は目を見張るものがあったし、現地の人々は心から感謝した。

 その一方で、自衛隊員や消防士ではなく消防団員が二百五十四名亡くなっている。彼らは自分の安全は二の次にして、走り回って住民の避難を促した。みなが山の方へ避難しているのを見送って、彼らとは逆に海岸に行って水門を閉じようとした。間に合わなくて津波に巻き込まれた。ぼくの友人はそれでも九死に一生を得た。社会と個人の間に運命がこういう事態を強制することがある。

 東日本大震災の時、福島第一原子力発電所で吉田所長が「高線量の場所から一時退避し、すぐ現場に戻れる第一原発構内での待機」を命じたにも関(かか)わらず、所員の九割は約十キロ離れた第二原発に行ってしまったという。

 吉田さんは亡くなっているし、ことの真偽はわからない。問題は彼らが職場を放棄したことに理はあったかということである。

 正に非常事態・緊急事態であって、なんとしてでも対策を講じなければ本州の何割かは人が住めないところになっていた。対策ができるのは現場の人々だけだった。だがそれは外からの理屈であって、彼らにすればまず自分の身の安全と考えるのは当然である。なぜならば彼らはそれほどの危険を伴う仕事だとは知らされていなかったから。チェルノブイリの死者たち(最小限に見積もって)三十三名など遠い異国のことだと思っていたから。

 危険率を隠していたのはいわゆる原子力村の安全神話である。彼らは目を背けて危険はないことにしていた。

    *

 国家には選ばれた一部の国民を死地に派遣する権限があるのだろうか? 非常に危険率が高いとわかっているところへ送り込むことができるのだろうか? それが自衛のためだと言うならば、国の生存権と個人の生存権の関係についてはもっと議論が要る。

 今の自衛隊員は憲法第九条があることを前提にこの特殊な職に就いたはずである。自衛のための出動はあるが(東日本大震災はその典型)、他国での戦闘はないと信じて応募した。

 だとしたら彼らには次の安定した職を保証された上での転職の権利がある。そんなつもりではなかったと言う権利がある。戦場には殺される危険と同時に殺さなければならない危険もある。その心の傷はとても深い。あなたは見ず知らずの人間を殺せるか?

 イラクに派遣された自衛隊は一人も死なず、(たぶん)一人も殺さずに戻った。憲法第九条が彼らを守った。

 それでも帰還隊員のうちの二十五名が自殺したという報道がある。一般公務員の一・五倍と普段から自殺率の高い職場ではあるが、イラク後はそれが一桁上がった。戦場の緊張の後遺症が疑われる。

 聞くところによると、集団的自衛権を熱心に推しているのは外務省で、防衛省は消極的なのだという。戦争になっても外交官は血を流さない。

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コメント

貴女はブロウを書き始めるとドンドンと書きますね。

憲法というのはそもそも何かということですね。
現在進行中の憲法解釈の変更というのは、憲法をないがしろにするものです。
変更したいなら、憲法の変更を行うかどうか国民投票にすべきでしょう。

この動きを阻止するには、この内閣を辞めさせることが一番。
それがだめなら、憲法解釈変更が違憲かどうか、最高裁へ訴えるしか方法がない?
具体的事例の与党協議なんて、木を見て森を見ずという気がしますが。

kenn-sannnote

>憲法というのはそもそも何かということですね。

そうですよね。国権を縛るためにわざと変更しにくいものになっているものを、変更しにくいから解釈変更で骨抜きにしようというのは、本末転倒。
国民投票に付すべきものだと、私も思います。

>憲法解釈変更が違憲かどうか、最高裁へ訴えるしか方法がない?
「高度に政治的な判断」論法で最高裁が逃げなきゃいいですけど。憲法の番人は裁判所。いまいち及び腰な判決が多い最高裁だけど、裁判が持ち込まれた際には、魂の入った仕事をしてほしいです。

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