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2017年8月 3日 (木)

広島遠征(3)

お腹がいっぱいになったら、いざ観光

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なにはともあれ、厳島神社、だよね~♪

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ここに、ヘレンケラーも、アインシュタインも来たのだとか。

目が見えず耳も聞こえない、ヘレンケラーさん、

2度もここに来たそうだけど、

何を感じたのかな。

平清盛が作った後、鎌倉時代に2度消失した厳島神社。

その度に、源氏が原状通りに再建したのだとか。

源氏も、この神社に何か特別なものを感じていたのかな。

厳島神社は、ブラタモリでも詳しく取り上げてたね(←Click)

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この能舞台は、17世紀になって作られたとか。

厳島神社は、後の世代が改築、増築を繰り返しながら、

社殿を守ってきた。

つまり、この神社を愛してやまない人たちがいつの世にもいたんだね。

ロマンチック~

しかーし!

三浦正幸著「平清盛と宮島」という本に、知られざる事実がっ

       

明治維新の神仏分離令で、神社本殿に色を塗るのは仏教的だとされました。

そこで厳島神社の社殿は、朱塗りを全部洗い落とされ、白木にされてしまい

ました。その時に、屋根に千木・鰹木も加えられたのです。白木では能舞台と

同じで、くすんでしまい、お世辞にも美しいと言えない姿だったでしょう。明治

時代は、清盛時代の華やかさを失い、厳島神社最大の危機でした。大鳥居も

その時期に再建されたので、もちろん白木でした。

明治末期の国宝修理の際に、鮮やかな朱塗りが再現され、また千木・鰹木の

ない本来の姿に復元されました。大鳥居も明治8年の再建以来、初めて朱に

塗られたのです。

       

明治政府、徹底的すぎる。。。

しかもこの本には、更に衝撃の事実が

       

明治維新の神仏分離の記録によれば、明治政府が派遣した大参事(政府高官)が

厳島神社の社殿と神体を見て、仏教式だと怒り、直ちに社殿を焼き払い、神体を

海に流してしまえと命令したそうです。当時、棚守(宮司)であった野坂元延は、

家族と水盃を交わして上京し、政府に嘆願して、今ある国宝の社殿を救ったのです。

       


なんということでしょう!

日本の明治政府、この貴重な文化財の破壊を命じていたとは

厳島神社のすぐ裏にある大願寺が、ご神体の受け皿となったとのこと。

いまの美しい厳島神社は、本当に沢山の人の手によって守られてきたんだねー。

舞台裏の話がわかると、厳島神社が更に美しく見える~


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